お墓の豆知識 – 石図鑑
全てが異なる特徴を持つ「石」という素材。
現在「墓石」の素材として使用されている石材は、国産石材だけでも200種類以上、輸入された外国産の石材を加えた産地別では、およそ300種類あると言われています。
墓石としてよく使用される物として挙げられるのが「花崗岩(カコウガン)」、「安山岩(アンザンガン)」、「斑レイ岩(ハンレイガン)」、「閃緑岩(センリョクガン)」。
墓石の素材としては硬度が高く、吸水性が低く、風化しにくく、キズやムラの無いきめ細かいものが好まれています。
(有)井上石材店では、その中でも「国産石材」にこだわり、自信を持ってお勧めできる石だけをお取り扱いしております。
このページでは、当店で取り扱っている信頼できる石種をご紹介致します。
墓石の石選びをする時などの参考にお役立て下さい。
庵治石(細目)
庵治石(あじいし)
産地/香川県
特徴/
庵治石の故郷は香川県高松市の東部、山全域が花崗岩の層からなる八栗五剣山です。
石の正式名称は細粒黒雲母花崗岩といわれ、風雪に耐える堅い石質や優美な光沢と色、きめの細かさ、そして中でも細目になるほど青味を帯びた石目に浮かび上がるウロコ状のかすかな文様が特徴です。
現在、最高級ブランドの墓石材として国内外で高く評価されている庵治石ですが、その歴史は大変古く平安時代後期から採石・加工され、すでにこの頃から遠く京都にまで送られていたと伝えられています。
国産石材マメ知識
世界に誇る天下の銘石「庵治石」
庵治石の代表的施工例
屋島東照宮【慶安5年(1652年)】
道後温泉又新殿【明治32年(1899年)】
平和記念公園慰霊碑【昭和27年(1952年)】
「タイム・アンド・スペース」イサム・ノグチ(高松空港)【平成元年(1989年)】
首相官邸石庭【平成14年(2002年)】
六本木ヒルズ・レストラン街【平成15年(2003年)】
他にも、白鳥中央公園・大島青松園内施設のモニュメントなどに多数使われています。
庵治石の歴史
庵治石を産出するのは香川県高松市庵治町、牟礼町にまたがる霊峰・八栗五剣山。山全体が花崗岩の層からできています。
「庵治石」の歴史は非常に古く、足利尊氏が征夷大将軍になった頃、1339年京都府八幡市の石清水八幡宮再建の頃までさかのぼります。
この八幡宮の再建にあたり、平安末期から南北朝、室町時代にかけて、庵治地区近郊が石清水八幡宮の荘園であったとされていることから、庵治地区の石材を使用したと古文書に記されています。庵治石と呼ばれるようになったのは、約400年の昔、秀吉が大阪城築城のため石垣の調達が讃岐に下り、石の積出港である庵治からの石材が出荷されたのがその始まりと推定されています。
その後、江戸時代に入ると各地での城づくりが盛んになり、高松城築城の石壁、桜門の礎石や大阪城改築にも多くの庵治石が供給されています。
明治・大正期の経済発展と好景気で、庵治石の需要は増加し一大石材供給産地として躍進を遂げます。現在のように「世界で最も高価な石材」と言われるようになったのは、昭和30年以降の機械化で採石や加工が容易になってからです。その結果、庵治石は世界でも稀な美しい石質と加工技術によって「天下の銘石」の名を不動のものに築き上げています。
六本木ヒルズ
佐藤継信墓所(1643年)
|
大島石(細目)
大島石(おおしまいし)
産地/愛媛県
特徴/
石英、長石、黒雲母からなる花崗岩で、色は灰色。
目は中荒で、堅さと吸水性の低さは国産の花崗岩の中でも特に優れています。
吸水性の低さから変色もしにくく、主な用途である墓石では香川の庵治石に並ぶ高級品として重宝されています。
特に産地に近い関西、中国地方では特に好まれ、色あせずに長続きする気品・風格のある美しさ、抜群の堅さと粘りによる堅牢(けんろう)な佇まいなど、銘石として高く評価され、今日では全国的に知られる石となっています。
国産石材の生まれ故郷の旅
伊予大島石の産地「大島」
愛媛県今治市“大島”
大島(おおしま)は、芸予諸島の島の1つで、愛媛県今治市に属しています。
島の北東部にある宮窪地域には、中世に瀬戸内海を舞台に活躍した村上水軍(能島村上水軍)が本拠を置いたという歴史があり、水軍遺跡や言い伝えが多く残されています。
大島石のルーツ
1583年(天正11年)豊臣秀吉の命により築城された大阪城と、藤堂高虎の命により築城された今治城の築城に参加した、今治出身の石屋治右エ門。今治城築城後、築城の秘密漏洩を封じるため、藩主により処刑命令が出されましたが、このことを事前に知らされた治右エ門は大島に逃れました。
こうして難を逃れ隠れ住んだ地に、良質の花崗岩層が埋もれているのを知った治右エ門は自らの技術を生かして切り出したと伝えられ、現在これが大島石のルーツだと言われています。
しかし、確たる資料が残されておらず、その真実は未だ謎に包まれた部分が残っています。
大島石の産地「大島」
今日有名な大島石ですが、採掘の始められた江戸時代には採掘技術や運搬技術の低さから知名度は低いものでした。
しかし、明治時代以降に技術が向上したことによって採掘量が増し、全国的に知られる石になりました。
大島石を使用している代表的な建築物
古くは石塔や宝篋印塔に。
近代に建造された有名な物では国会議事堂、迎賓館(旧 赤坂離宮)、大阪心斎橋、愛媛県庁舎など様々な建造物の建築材として使用されています。
大島石(丁場)
国会議事堂
迎賓館(旧 赤坂離宮)
|
北木石(瀬戸細目)
北木石(きたぎいし)
産地/岡山県
特徴/
岡山県笠岡市の北木島から産出される花崗岩。白色を主とし、少し赤味をおびた細目赤水晶、北木錆石と呼ばれる赤サビ色をしたものとの3種類があります。
石材としての特徴は、極めて光沢があること。
化合体の分布状態が均一で硬度抜群。しかも「ねばり」があるので加工も容易で、墓石の素材として適しています。採石の歴史は古く、有名な大阪城の石垣をはじめ、靖国神社の大鳥居や、天皇陵での鳥居などにも使われています。
昔から品質の良い大きな石が採れたため全国に販路が広がっており、よく名を知られた石材の1つです。
国産石材の生まれ故郷の旅
北木石の産地「北木島」
「石の島」北木
岡山県笠岡市に属する笠岡諸島の中で最大の面積を持つ島、北木島。笠岡港から南に約15kmの地点にあります。
石材の採掘の歴史は古く、中でも大阪城の石垣に使われた話は有名です。昔から良質の花崗岩が採掘されたことで、北木島は全国的に「石の島」としてその名を知られました。
現在でも北木島では、採石と漁業が主な産業として受け継がれており、墓石をはじめとした石材加工が盛んです。
北木石を使用している代表的な建築物
代表的な大阪城(石垣)をはじめ、靖国神社(大鳥居)、日本銀行旧本店、三越本店、日本橋 など
北木島の定期船乗り場(豊浦)近くでは、実際に北木石を使用した彫刻作品の1つ『メビウスの輪』を見ることができます。
また、北木中学校の北木記念室では採石道具などを見ることができ、北木島で育まれた石文化に触れることができます。
北木石(鶴田丁場)
大阪城(石垣)
|
青木石(黒口)
青木石(白口)
青木石(あおきいし)
産地/香川県
特徴/
青木石は、瀬戸内海の塩飽諸島に属する28の島の中で最も大きく広い「広島」で産出されます。採石の歴史は古く、豊臣秀吉が大阪城を築城した時に使用したのが始まりとされ、以来数百年を経た今日でも、墓石材をはじめ建築やオブジェなど様々な物の材料として幅広く使用されています。
特徴は落ち着いた優しい石の目合いで、黒口と白口がありますが、墓石では黒口に人気があります。
国産石材の生まれ故郷の旅
青木石の産地「讃岐広島」
数百年という長い石材加工の歴史をもつ島
瀬戸内海、塩飽諸島二十八の中でも最も大きく、広い島。
それが青木石が採れる「広島」です。朝、昼、夕と刻々と変化する海の青さと光…空と海と大地の恵みにあふれた青木石の故郷は、四季折々にさまざまな表情を見せてくれます。
青木石の採石の歴史は古く、豊臣秀吉が大阪城を築城した時に、青木石を使用したにが始まりといわれています。
以来数百年を経て今日でも、墓石材をはじめ、記念碑、石像など、さまざまな石建築の分野で利用され、現在も新たな歴史を刻み続けています。
青木石を使用している代表的な建築物
花崗岩に分類される青木石は色調は青系。その濃さによって「黒口」、「青口」、「白口」に分類されます。
この石ならではの落ち着いた優しい石の目合いは墓石材として親しまれ、特に女性に好まれています。
また、硬質の花崗岩に分類される青木石ですが、石自体に粘り気があり、加工がし易く加工持ちが良いのがこの石の特徴。そのため造園や建築用にも利用されています。
国の登録文化財に指定されている金毘羅宮宝物館のほか、瀬戸大橋記念公園や香川用水記念公園などで青木石に触れることができます。
金毘羅宮宝物館(基礎石と壁石)
瀬戸大橋記念公園(モニュメントなど)
|
万成石
万成石(まんなりいし)
産地/岡山県
特徴/
年間7千トン。正式には「再閃石黒雲母花崗岩」と呼ばれ、結晶体は粗粒の集合で極めて堅固な、岡山県で産出される石材。
鉱物としてカリ長石に特徴があるため、魅力的な美しい淡紅色。通称「桜御影石」と呼ばれています。
その独特のピンクがかった色の美しさが、かわいらしさと高級感をもたらしてくれます。
そのため多くの人に愛され、墓石・建築材・彫刻の材料と様々な場所で使用されています。また、天然の自然石のまま石碑などに使われることが多い石でもあります。
国産石材マメ知識
様々な場所で愛される「万成石」
万成石を墓石に使用している有名人
石原裕次郎(俳優)、吉田茂(元首相)、池田隼人(元首相)、乃木大将、岡山の池田藩主、廣池千九郎(法学博士)、イサムノグチ(彫刻家)、朝倉文夫(彫刻家)、高村光太郎(彫刻家)、成瀬巳喜男(映画監督)、吉川英二(作家)、堀 辰雄(作家) など
別名「桜御影石」と呼ばれるように華やかな雰囲気を持つ万成石は、古くから多くの人に愛されてきたことがうかがえます。
万成石を使用している代表的な建築物
明治神宮絵画館、銀座聖徳記念絵画館(石造りの外観)、
新宿伊勢丹ビル、銀座和光ビル、瀬戸大橋記念館、
銀座千疋屋 など
万成石は墓石としてはもちろん、素材として様々な形・分野で使用され、多くの芸術家たちにも愛されてきました。
パリのユネスコ庭園(イサムノグチ作)や、犬養毅の銅像の台石(朝倉文夫作)などの彫刻作品が、万成石で製作されています。万成石の魅力にとりつかれ、作品に使用している彫刻家は現在も多く、このような石種は全国的に見ても稀(まれ)だと言えるでしょう。
イサムノグチ氏が手掛けた ユネスコ庭園(パリ)
|
白石
白石(しらいし)
産地/岡山県
特徴/
北木石・瀬戸石と共に、昔からよく使われてきた石材です。
白石は色ムラも少なく石もそこそこ硬く良い石ですが、現在は青い石が主流のため、以前ほどは使われなくなりました。
しかし、墓相墓、夫婦墓では現在もよく使われています。
最近は、赤色の濃い良質なものがあまり出なくなって来ているため、貴重な石材です。
天山石
天山石(てんざんせき)
産地/佐賀県
特徴/
佐賀県で採石されている高級御影石。
吸水率の低さと硬さは、他の墓石材の追随を許さず、その質の高さと美しさは古くから知られています。独自の石目・色合いに特徴を持ち、九州地方を中心に広く高級墓石材として使用されています。
国産石材の生まれ故郷の旅
天山石の産地「佐賀県松浦郡七山村」
古代邪馬台国伝説も残る閑静な山里
天山石が産出される佐賀県松浦郡七山村(現唐津市)は、唐津湾岸に広がる日本三大松原の1つ「虹の松原」を望み、古代邪馬台国伝説も残るのどかで閑静な山里です。
佐賀県唐津市の中心部から車で30分程度走ると“日本の原風景”ともいえる、この静かな山里にたどり着きます。天山石の採掘場はここにあります。
唐津くんちや呼子のイカで有名な佐賀県唐津市・肥前町で昭和40年代から採掘されはじめた天山石。現在、単独採掘場としては国内屈指の販売量を誇り、採掘場には巨大な玉状の石が埋まっています。
天山石の歴史
天山石が採掘される佐賀県松浦郡七山村からほど近い場所にある牛津町は、古くから「砥川石工」と呼ばれる石工の集団が石の加工品の製造販売を行い、その名は広く世に知られていました。
中でも江戸時代初期、石工名人平川与四衛門が現れ、その手による作品は、現在でも佐賀県内を中心に九州全域に残されています。素材の石は七山村で採掘し、牛津川を下り、石工の里・牛津まで運んだものと思われます。
また、1602年(慶長7年)から1608年(慶長13年)にかけて築城され、江戸時代を通じて唐津藩の藩庁となった唐津城の石垣にも、天山石は使われています。
このように古くから地元で使われてきた天山石ですが、本格的に採掘が始まったのは前述の通り「昭和40年代から」。その青深く透明度の高い石目と、極めて硬く経年劣化の少ない石質…理想の墓石3条件とされる「硬い」「水を吸わない」「変色しない」の3つを兼ね備えた日本屈指の銘石として、近年全国で人気が高まっています。
虹の松原
唐津城(石垣)
|
紀山石
紀山石(きざんせき)
産地/福島県
特徴/
愛媛県の大島石に似た青小目系の白御影。
天光石(てんこうせき)とも呼ばれていて、天光石の黒口が紀山石と言います。
また紀山石と言っても天光石の白口に近い見た目にも白っぽい物もあり、それらの中には年数が経つと黄色っぽく変色する物もあります。石の硬さはあまり硬くないですが、石目は綺麗で明るい感じの石です。
約8割が関西方面に出荷されており、高級墓石材として石塔や外柵に加工されています。
国産石材マメ知識
歴史を紡ぐ新しい石…「紀山石」
産地からはるか遠く、関西圏から日本各地へ人気が広がる
紀山石は、1982から採掘が開始された「国産石」の中では比較的まだ歴史の浅い「新しい石」です。
福島県阿武隈山地より採掘される白御影石系の石材ですが、白御影石への志向が強い関西圏から日本各地へ人気が広まったという経緯があります。
埋蔵量も豊富で、採掘場では100年先を見据えた採石場づくりを考え、取り組まれていて、2003年からはワイヤーソーを導入した生産体制を整え、一層安定供給が可能になりました。
こうした安定した生産体制をバックに、細かく明るい石肌、気品のある青味をおびた色合いと細目の粒子の美しさにより、紀山石は人気石種の1つとして知られるようになりました。
|